T595デッド・エンド・ストリート

古いバイクの記録です。Yahoo!ブログより引越し。

大正生まれの

重要文化財になっていた

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子供の頃、長崎の祖父母を訪ねる際には東彼杵~大村経由ではなく、西海橋西彼杵経由だった。針尾の坂を登り緩やかに下りに入ると見えてくるのは3本の無線塔だった。
巨大な3本の塔は嫌でも目に入るから、親に尋ねると軍の無線通信に利用されてた事や「ニイタカヤマノボレ」を発信したらしいと答えを聞く程度しか関心は寄せなかった。
まあ、その頃から倒壊の危険性があるので立入禁止と言われてた様な。

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最近まで自衛隊の管理施設であり、永らく一般公開されていなかったが重要文化財に指定されてからは調査の結果公開しても問題無くなったようだ?

圧倒的な

イメージ 2暑い最中、午後から針尾まで車を走らせて中心にある電信室の場所に辿り着いた。
地元の保存会の方らしい老人が案内役として詰めている様だ。
暫くしたら家族連れが到着したので一緒に3号塔へ向かう。
森を抜けて塔の基部から見上げると圧倒的な存在はスカイツリーと同様な鬱陶しさが(笑)。
鉄筋にコンクリを流し込んだ際の外壁の板囲いの段数は丁度100段あるそうで。
1段1段組み上げるのは、かなりの時間を要したのではないだろうか。
とても大正時代の頃からとは思えない外見です。

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内部は通信機材(アンテナ線?)を上げる小型のエレベーター?以外は梯子しか見当たらず。どうやら130m上までは梯子で上がるしかないらしい(^_^;)
外に出ると塔の脇にあるコンクリート製のキノコ型スタンドは同じく大正時代の潮流監視哨だったとか。
当時は西海橋はまだ構想さえ無かっただろうしね。
その後は耐爆のため1階部分が埋められた電信室の外で話を聞いて見学ツアーは終了となりました。
電信室は中を整備して資料室として後日公開する予定だとか。
見学は資料室か出来て涼しくなった頃が良いかもしれませんね。今は暑くて(^_^;)