T595デッド・エンド・ストリート

古いバイクの記録です。Yahoo!ブログより引越し。

帰省9月11日~13日と翌14日帰還

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9月11日は長崎の親戚宅へ移動。墓参りの予定だったが生憎12,13日とも断続的に降り続く雨でお流れ。
ごろごろするのも勿体無いのと、長崎くんちに関連するイベントが長崎文化歴史博物館で開催されるとの事なので長崎市内へ出掛ける事にした。
長崎くんちと言えば諏訪神社の祭事である。ちなみに博物館の隣にある。よって先に詣でる事にした。と言っても拍手を打ったり参拝する訳ではない。由緒・由来と祭神を知るためだ。後で知ったが現在の諏訪神社は諏訪・森崎・住吉の三社が習合したようだ。
裏手に回ると蛭子神社と稲荷神社が有った。稲荷神社では微かに子猫の鳴き声が聞こえてきた。多分軒下かどこかに野良でも棲みついているのだろうか。

暫くして開園時間になったので博物館へ向かった。途中やけに新しい木造建築が建っていた。昔の長崎奉行所を再現したそうだ。これは後で見に行かねばなるまい(笑)。

博物館に入館すると特別展示の「くんち372年展」は3階。通常展示の長崎の文化・歴史と長崎奉行所は2階となる。特別展示は800円。通常展示と合わせると1000円・・・。安過ぎないか通常展示・・・。

特別展示の3階に上がると初日のセレモニーは終わった様で人は少ない位で丁度良かった。展示物の状態保存のためか館内の照明はかなり薄暗い。フラッシュ焚いて写真を撮っている人が居たが、きっと関係者なんだろうけどフラッシュは駄目だろうに・・・。増感するか携帯にしなきゃ(笑)。

諏訪神社の宝物や宝剣(両刃直剣と反りのある大太刀)やかなり古い神輿が並べられている。昔の諏訪町のくんちを描いた3巻合わせると長大な図巻等面白いのだが、いかんせん照明が薄暗くて顔を近づけないと詳細が判り難い。しかし昔の通り物にはインド象も出ていたとは・・・面白い。しかし駕籠の中に居たウサギか犬の様な白い着ぐるみみたいなのは何なのだろう? 謎だ。しかし人が少ないからまだじっくり見る事が出来たが休日の混雑する時にはこんなにゆっくりは出来ないだろうな~。

次は3階を出て2階の文化歴史展示室に行く。色々な歴史や文化が海外との交流を軸に紹介されており、じっくり見て回ると2時間位は直ぐに経ってしまった。最後は少々はしょり気味だったが。

昼も過ぎて好い加減腹も減ってきたので隣の長崎奉行所に行く。丁度長崎奉行所の1年を再現した3D映画があると言うので、先に見に行った。3D眼鏡を掛けて映画を眺める。時代劇で有名な遠山の金さんの父(遠山左衛門尉景晋)を風間杜夫が演じていた。左程忙しい仕事には見えなかったが(^^;大火事とか起こったのでそんな事はない気はするが・・・。くんちの日に着任して翌年のくんちの日に帰京するとは。しかも江戸までは約1ヶ月の旅とはね。
映画が終わって展示物に戻る。奉行所の復元までの過程や図面があり文化歴史展示室にも有った音声での解説もあるので展示物を見ながら解説を聞く事が出来て退屈しない。警察活動の他に入国管理官の仕事もあるのは出島のある長崎の奉行ならではなのだろう。
復元された奉行所で、最初に行ったのはやはり「御白州」(笑)。平日なので寸劇は無かったが、何人かの所員が入館者相手に解説していた様だ。
奉行所の勤務時間とか聞いてみた(笑)。照明が行灯だけなのでやはり日のある内に終わるそうだ。なんとなく羨ましい様な~(笑)。

博物館を出たのは午後2時を当に過ぎた頃。腹は減ったがあまり食欲も湧かない。とりあえず天気も回復しているので路面電車に乗って大浦天主堂方面へ向かう。簡単に言うと長崎港の方へ向かう事になる。路面電車は1回100円で乗る事が出来る。大浦天主堂下で降りて近くのコンビニに食べ物を買った。土産物店の並んだ坂を少し登ると正面に大浦天主堂が見える。そこから右にさらに登るとグラバー邸の入り口だ。別に観光する訳では無いのでそのまま下って港の方へ向かった。

港に出てみると手前の岸壁に大型客船が停泊している。船尾にはGENOVA(とあるからイタリア船籍らしい)の「COSTA ALLEGRA」と書いてある。近くに新しい公園が出来ていたので行ってみた。
反対側の造船所には喫水の深い貨物船(WALLENIUS WINHELMSEN)に挟まれてイージス艦らしき姿も見える。奥には女神大橋が掛かっていた。やはり色々変化はあるのだろう。この公園「長崎水辺の森公園」もそうだ。稲狭山のロープウェイは変わって無さそうに見えるが。100年後には博物館で見てきた歴史の一部となってしまうのかね。

結局、墓参もせずに帰宅して翌日は博多空港より帰京。憎らしいほどの晴れ具合だった(^^;。ま、ゆっくり出来たから良しとするか。